スピルバーグ製作×J・Jエイブラムス監督『SUPER8/スーパーエイト』

チャールズが目指すロメロ監督

ゾンビ映画の第一人者で様々な形容詞がつくジョージ・ロメロ監督はホラー映画好きなら一度は観たことがあるのではないでしょうか?!まさにホラー映画やカルト映画を制作したいと思っているなら、まさにロメロ監督の作品はいわばテキストブック的な存在かもしれません。巨匠ロメロ監督の作品を見て、真似て、習え!ということになります。ロメロ監督が登場するまで『ゾンビ』はあくまでも脇役的な存在でした。

ミイラであったり吸血鬼の方が断然メジャーで脇役としてゾンビは登場していましたが、ロメロ監督が1968年に発表した「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」で『生きる死体』としてゾンビを登場させて、今やホラーメイクで吸血鬼や狼男、フランケンシュタインよりもゾンビの方が断然多いのは、ロメロ監督の作品が大きな影響を与えたことは間違いありません。ゾンビ映画を撮影するのが趣味のチャールズからすれば、目指すならやっぱりロメロ監督となるのもうなずけます。


ホラー映画の巨匠ロメロ監督

ロメロ監督は1940年2月4日にニューヨークで出身です。父親はキューバ人系母親はリトアニア系です。ロメロ監督も小さな時から大の映画好きで、1952年に製作されたイギリスのミュージカル映画『ホフマン物語』を見て感動して、自分も映画を作りたいと映画制作への夢志しました。『ホフマン物語』は主人公がホフマンが次々に恋に落ちて敗れて・・の内容なので、ホラー映画の巨匠が恋愛モノ?!というが、意外な気もしますが、古典名作の『魔人ドラキュラ』や『フランケンシュタイン』も大好きだったようで、キャラクター設定であったりホラー映画の製作にとても影響を受けたようです。

ロメロ監督もスピルバーグ監督やJ・Jエイブラムの少年時代と同じように、映画制作が大好きだったので中学生の時に父親から8mmカメラを買ってもらって、8mm映画を制作しています。この映画を自主制作するときに、人形に火をつけてビルから落として警察にめちゃくちゃ怒られたという話があります。実際に火をつけて落とすというのが、行動的ですがそれほど映画制作に魅了された生活を送っていたようです。

ゾンビの誕生とロメロ監督のキャリア

大学はピッツバーグにあるカーネギー・メロン大学に通っていましたが、1959年にサスペンス映画の神様アルフレッド・ヒッチコック監督の現場でアルバイトをしています。アルバイトした作品はなんとスペンス映画の傑作『北北西に進路を取れ』です。ところが、ロメロ監督はこのときに思ったのが、ハリウッド流の映画製作に疑問を抱きました。ハリウッド流はとにかく効率性を重視しますが、ロメロ監督はそうじゃないだろ?!と思ったようです。

大学を卒業してから、友人と地元のピッツバーグで1963年ラテント・イメージという映像製作会社を設立します。この映像制作会社で手がけたのは、CMや産業用フィルムの製作でした。そしてロメロ監督は監督を手掛けたり製作をしていましたが、やっぱり劇場用の映画を製作したい!!という夢を捨てることなどできずに、会社勤めをする傍らで友人たちや有志でお金を出し合って仕事が休みの週末などを使って映画制作することを決意しました。

そして撮影する物語は、ずっと気になっていたリチャード・マシスン原作のSFサスペンス小説『アイ・アム・レジェンド』にヒントを得て、製作したのが1968年『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』です。ここに登場するのが『生きる死体のゾンビ』です。当時のタブーにも挑戦したカニバリズムがあったりと賛否両論がありました。初めて製作した劇場用映画の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』は興行的に失敗していますが、じわじわとドライブインシアターであったりテレビの深夜放送でカルト的人気を得るようになりました。この映画がは今ではカルト・クラシックとなっていて、アメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録されている作品です。

それから5年後の1973年、製作者ルビンスタインと出会ったことがキッカケで、ローレル・プロダクションを設立します。そしてこのプロダクションで製作したのが、現代版吸血鬼の『マーティン/呪われた吸血少年』です。この映画は1977年の映画ですが、この映画がヨーロッパで大きな話題となって、イタリアホラーの名監督がロメロ監督の才能に目をつけて共同出資を申し出て製作されたのが、1978年の『ゾンビ』です。

ロメロ監督を代表する1978年の作品『ゾンビ』:Dawn of the Dead は低予算の150万ドルでしたが、『ゾンビ』は世界中で大ヒットを飛ばしました。『ゾンビ』が世界的に大ヒットしましたが、ロメロ監督自身はそれからホラー映画監督から脱皮を図って、ホラー以外のジャンルの作品に意欲をだして、ラブ・ストーリーや社会派ドラマ作品などでも監督を手がけていますが、成功はしませんでした

1982年に、ロメロ監督の盟友スティーブン・キング脚本で『クリープショー』を製作したことを皮切りにして、ロメロ監督は再びホラー映画を監督するようになりました。2004年にあの名作『ゾンビ』はリメイクされて監督ザック・スナイダーで『ドーン・オブ・ザ・デッド』で公開されました。2005年には超有名スターのデニス・ホッパーやアーシア・アルジェントたちを起用して久々のゾンビ映画『ランド・オブ・ザ・デッド』を監督していますが、興行はいまひとつでした。久々のゾンビ映画はいまひとつだったかもしれませんが、ロメロ監督が生み出したホラー映画は、今でもゲームや映像クリエーターたちに多くの影響を与えています。

ハリウッドのメジャー・スタジオで監督したのは、1988年『モンキー・シャイン』1993年『ダーク・ハーフ』です。そして『The Mummy』でも監督として抜擢されていますが、ハリウッドメジャー・スタジオの製作方式と、ロメロ監督作風が相容れなかったため、ロメロ監督がメガホンを撮ることはありませんでした。結局『The Mummy』は、『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』としてスティーヴン・ソマーズ監督で製作されました。

ベラ・ルゴシ主演の古典的名作『魔人ドラキュラ』(1931年)、ボリス・カーロフ主演『フランケンシュタイン』(1931年)なども非常に好きだったようでそれが後年のゾンビものなどのキャラクターの設定やホラー映画製作にも大きな影響を与えた。その映画好きが昂じて1954年、ロメロが中学生の時に父親から買ってもらった8ミリカメラで『The Man from the Meter』という8ミリ映画を製作。この作品の撮影の際、火を点けた人形をビルから落として警察に大目玉をくらったという逸話がある。

(George Andrew Romero, 1940年2月4日 - )は、アメリカ合衆国の映画監督。脚本家、編集者、俳優、作曲家でもある。ニューヨーク市出身。父親はキューバ系、母親はリトアニア系。

ゾンビ映画の第一人者。ホラー映画の巨匠、カルト映画の鬼才として知られる。

幼少時からの映画好きで『ホフマン物語』(1952年製作のイギリス映画:ミュージカル)を見て感銘を受け映画制作の夢を志す。ベラ・ルゴシ主演の古典的名作『魔人ドラキュラ』(1931年)、ボリス・カーロフ主演『フランケンシュタイン』(1931年)なども非常に好きだったようでそれが後年のゾンビものなどのキャラクターの設定やホラー映画製作にも大きな影響を与えた。その映画好きが昂じて1954年、ロメロが中学生の時に父親から買ってもらった8ミリカメラで『The Man from the Meter』という8ミリ映画を製作。この作品の撮影の際、火を点けた人形をビルから落として警察に大目玉をくらったという逸話がある。

ピッツバーグのカーネギー・メロン大学在学中の1959年、アルフレッド・ヒッチコック監督のサスペンス映画の傑作『北北西に進路を取れ』の撮影現場でアルバイトをするが、効率性重視なハリウッド流の映画製作に疑問を抱くようになる。

大学卒業後、地元ピッツバーグで1963年に友人とラテント・イメージという映像製作会社を設立、主にCMや産業用フィルムの製作や監督を手掛ける。 しかし劇場用映画製作の夢を捨てがたく、会社勤めの傍ら友人のジョン・A・ルッソ、ラッセル・トレイナーら有志らとお金を出し合い週末などを利用して映画を作ることを決意、物語はかねてよりリチャード・マシスン原作のSFサスペンス小説『アイ・アム・レジェンド』に感銘を受けていたロメロがその作品をヒントとして1968年『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を製作した。映画は興行的に失敗したが後にドライブインシアターやテレビの深夜放送でカルト的人気を得る。

1973年に製作者リチャード・P・ルビンスタインと出会い、ローレル・プロダクションを設立。同社製作の現代吸血鬼もの『マーティン/呪われた吸血少年』(1977年)がヨーロッパで話題を呼び、ロメロの才能に気付いたイタリアンホラーの名監督ダリオ・アルジェントが共同出資を申し出て78年に『ゾンビ』を完成させる。彼の代表作となった『ゾンビ』(原題:Dawn of the Dead 1978年)は150万ドルという低予算ながら、世界中で大ヒットした。その後ロメロ自身は単なるホラー映画監督の殻からの脱皮を図るべく、他ジャンルの作品に意欲を示し、社会派ドラマやラブ・ストーリーなども監督するが成功には至っていない。

1982年、盟友スティーブン・キング脚本で『クリープショー』の製作を皮切りに再びホラー映画を監督するようになった。『ゾンビ』は2004年にリメイクされ、『ドーン・オブ・ザ・デッド』(監督:ザック・スナイダー、原題は1978年版と同じ)の邦題で公開された。そして2005年デニス・ホッパー、アーシア・アルジェントら有名スターを起用しての久々のゾンビ映画『ランド・オブ・ザ・デッド』を監督したが興行はいまひとつ振るわなかった。しかし彼の生み出したホラー映画は世界中のゲーム、映画などの映像クリエーターらに現在でも多くの影響を与え続けている。また自ら監督した『マーティン』『ゾンビ』では俳優として出演し、そしてジョナサン・デミ監督からの熱烈なオファーにより『羊たちの沈黙』(1991年)ではFBI捜査官役として出演したりしている。かつてホラーゲーム『バイオハザード』の映画版を監督する話もあったが、原作の世界観を忠実に作りたかったロメロと製作サイドとの意見が合わず結局、製作段階で降板してしまう。

ハリウッドとの関連については『モンキー・シャイン』、『ダーク・ハーフ』をメジャー・スタジオで監督し、『The Mummy』に抜擢されるが、こちらもメジャー・スタジオの製作方式とロメロの作風が相容れず、実現せずに終わった。ちなみに『The Mummy』は後にスティーヴン・ソマーズ監督により『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』として製作された。

『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』(2008年)は11月15日(土)より日本で公開。

『サバイバル・オブ・ザ・デッド』は、2010年6月12日(土)からシネマサンシャイン池袋、TOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国でロードショー公開。

2010年末期に発売されたゲームソフト『コール オブ デューティ ブラックオプス』におけるゾンビモード追加コンテンツでは、ロメロ自身がゾンビとなって出現。ステージタイトルは『Call of the dead(コール・オブ・ザ・デッド)』である。